創業からの歩み
1971年
創業

創業者、小崎恵三は自転車製品を取り扱う卸売商社にて営業活動に従事していました。高度経済成長期にあった当時の日本には、国内に多くの自転車工場、その関連部品工場が稼働し、ものづくり日本の担い手の一翼として、自転車業界は賑わっていました。国内メーカーが作りだす機能的、かつ高品質なサイクルパーツは世界の自転車市場で成功する可能性を予感した恵三は、海外自転車市場向けに“メイドインジャパン”の自転車パーツを輸出する貿易商社を立ち上げます。

恵三は、日本製自転車部品の可能性に賭け、世界のバイヤーに向けてたゆまぬアプローチを続けました。その結果、運命的な出会いを果たすことになります。

私たちの歴史1
創業者 小崎恵三
1971年
革新者との出会い
アメリカ コロラド州 ― Howie Cohenはアメリカ国内で生産されるBMXをはじめとするスポーツタイプの自転車をもっと高品質に、もっと付加価値をつけることができないか?と日々模索を続けていました。その中で彼は1通のセールスレターを手にします。それは、日本人エクスポーター“Keizo Kozaki”からの手紙でした。
「日本の自転車製品に興味はありませんか?」 - Howieは、恵三からのメッセージに新しい可能性を感じ、恵三に会いに日本へ向かいます。その頃のアメリカは、古き良き1960年代を経て、より成熟した経済を構成する最先端の国として多様化が進んだ一方、人件費や原材料のコスト高などが表面化していた時代です。Howieは、性能が向上してきた日本の完成車や部品を、アメリカで卸売りしたいと考えていました。
私たちの歴史2
1971年~
日本製部品の輸出を開始
恵三とHowieは出会い、両者はすぐに意気投合します。彼らの情熱的なプロジェクトはすぐに軌道に乗りはじめ、SHIMANOをはじめとする様々な自転車ブランドを世界に紹介。順調に取引先を増やしていきます。
私たちの歴史3
1975年~
新興の台湾メーカーへ日本製部品を輸出

恵三は、ある日、Howieからの誘いを受けます。
「素晴らしい自転車メーカーがあった。ここから製品を調達するのがいいと思う。今から一緒に台湾へ行こう!」
Howieの強いパッションを感じた恵三はすぐに台湾へ飛びます。そして、Howieは語りかけます。
「これから、僕たちはこの地で、自転車メーカーの発展にかけてみよう!」 

恵三は、運命の出会いからほどなく、日本製自転車部品の輸出者の先駆者として、力強いビジネスを展開していきました。なかでもシマノの部品の取り扱いは増えていき、台湾のみならず世界各国に輸出を始めていきます。

私たちの歴史4
1980年~
恵三とHowieとのパートナーシップは長く続きます。2人から出会いから始まった縁は、まさしく「ネットワーク」として業界内で数多くのビジネスのきっかけを作り出しました。 Howieは、1982年に公開された映画「E.T.」で、主人公たちが乗る日本製BMXの自転車を監修したことでも知られています。
恵三は、2019年に勇退するまで、業界の最前線で活躍し、その功績は、今でも多くの人々に語り継がれています。
1985年~
輸入取引を開始
海外ブランド製品のトレンドの高まりに応じて、完成バイク、および高級サイクルパーツの輸入取引を開始
1989年
貿易取引額が100億円突破
2015年
貿易取引額が150億円突破
2019年
小崎晋が代表取締役社長に就任
2021年 
創業50周年
現在
顧客が求める最適なマッチングを実現

貿易商社として、お客様との深い人間関係の構築に努めることで、強い信頼感に裏打ちされた最適な取引先とのマッチングを実現することができます。この蓄積されたビジネスノウハウをもとに、「お客様が何を求めているのか」を探りながら、創意工夫を凝らして商社活動を展開しています。

日本から海外へ、海外から日本へ
今もなお自転車業界の国際地図は日々変化を続けています。私たちコザキトレイディングは、国際的な変化の荒波の中で、時代や環境の変化に対応し、世界の皆様のニーズに応える製品の貿易取引をサポートしています。

私たちの歴史5